参拝案内
如意輪観音さま
開帳仏の如意輪観音さまは源頼朝の三男の母、丹後の局の御守護本尊仏であったとされており、弘法大師の御作と伝えられています。一寸八分の二臂の御姿をされています。
御前立開帳仏は智証大師の御作と伝えられています。松平越中守御内室、伊予御前が自らの看経仏を、深く帰依されていた宝蔵寺四世徳雲祖蘭大和尚に御寄附下されたものとされています。
御利益
子授け・安産・子育て・健康に関する御守や御札、絵馬などの御用意があります。
御祈禱はご予約にて受け付けておりますのでご相談ください。
宝蔵寺略沿革史
当山のはじまりは現在の滋賀県大津に創立された崇福寺です。後に瀬戸岡霞野に移され、名称も紫雲山神護寺と改められました。久寿二年に寺の付近で合戦が起こり、諸堂が焼失してしまいました。この寺の帰依者であった源頼朝は建久七年に寺を現在地に移し、建久9年3月に諸堂が完成しました。同月21日・22日の両日にわたり、金剛般若経三千巻・般若心経三万巻を誦経し、国土安穏 ・諸災消除を祈願しました。この因縁により、かつては3月21日には大般若祈禱会が開かれ大般若経六百巻が転読されていたと伝えられています。
しかし、創立後四百年を経る頃になると法灯が衰え、これを惜しんだ泰翁慶初大和尚(平井 宝光寺五世)が、1護国鎮固 2佛日増輝 3萬民安穏の大願心を起こされ、開山として慶長九年に天台宗より曹洞宗に改宗され山号寺号も光雲山宝蔵寺と改められました。
往時には境内が約一万坪あり、東の沢より西の沢まで整然とあった伽藍も、正徳元年12月27日夕方、付近からの出火により、大庫裏(台所)・小庫裏・衆寮(僧侶の学問所)・中門・廻廊・裏門・山門・総門・鐘楼・土蔵等の建物が焼失してしまいました。しかし、この火災の中にあっても、薬師堂・観音堂は不思議と無事であったことから、人々は両本尊の功徳力の大きさを知ることになったといいます。